綺麗な資料に、体温は宿っているか?

AIがここまで綺麗な資料を作れるようになった今、人の役割とは何なのでしょうか。「AI作成のスライドは、なぜか響かない」という指摘を扱った記事を読みながら、あらためて考えさせられました。コーポレート実務の立場から、この問いを掘り下げてみます。

目次

整っているのに、なぜか空気が冷めていく

記事にあるように、AIが作成したスライドは、図解も美しく、言葉もよく整っています。誤字もなく、論理も通っている。それなのに、聞いている側の空気が、だんだん冷めていく。

その理由は、そこに実感がこもっていないからだと思います。ブラッシュアップしたキーワードをAIにそのまま読み込ませて作ったスライドには、体温も、重みもない。この指摘は、本当にその通りだと感じます。言葉は正しい。けれど、誰が、どんな思いで、それを言っているのかが伝わってこない。だから、届かないのです。

「社内事情」を無視した、綺麗な提案

コーポレート実務の立場から見ると、これは、よく見る光景でもあります。社内事情を無視した、綺麗な提案。理想的な施策が、整然と並んだ長いスライド。

けれど、そこに書かれた理想的な施策は、現場のリソース、組織の力学、既存業務との兼ね合いを踏まえていなければ、実行できません。誰が担うのか。今の人員で回るのか。どこの部署が反発するのか。既存の業務とどうぶつかるのか。AIは、正しいことを言います。教科書的に、最適解を並べてくれる。でも、その組織で本当に動かせるかどうかまでは、判断できないのです。

AIが得意なこと
情報を整理する/ドラフトを作る
正しく、美しく、整った提案
「何が正しいか」は言える
人にしかできないこと
その組織で本当に動かせるかの判断
誰が担い、どこで反発が起きるか
「実行できるか」を引き受ける

「本当に実行できるのか」を考えることが、人の役割

だからこそ、本当に実行できるのかを考えることが、人の役割なのだと思っています。

この提案を、誰が担うのか。どこで反発が起きるのか。何を優先して、何を捨てるのか。これらは、AIには決められません。組織の内側にいて、人間関係を知り、過去の経緯を知り、そして結果に責任を負う立場でなければ、判断できないことだからです。そして、それを自分の言葉で語れるかどうかが、リーダーの信頼を左右します。整った資料を読み上げるだけの人と、「ここは迷ったが、こう判断した」と語れる人。聞き手が信頼を寄せるのは、後者です。

問われるのは、完成度ではなく「判断と覚悟」

AIがスライドを作れる時代だからこそ、問われるのは、資料の完成度ではありません。その内容に、どれだけ自分の判断と覚悟が乗っているか。そこが問われます。

言葉の重みは、そこからしか生まれない。整った文章をいくら並べても、そこに自分の判断がなければ、言葉は軽いままです。逆に、たどたどしくても、「自分はこう考え、こう決めた」という覚悟が乗っていれば、その言葉は届きます。

AIは、優秀な下書き役です。情報を整理し、たたき台を作る力は、素晴らしい。けれど、その下書きに魂を吹き込むのは、人間の仕事です。効率を求めるあまり、最後の工程――自分で考え、判断し、自分の言葉にするという工程――まで手放してしまえば、言葉はどこまでも軽くなっていく。AIを使うか使わないかではなく、そこに自分の解釈をどれだけ込められるか。これからは、そこで差がつくのだと思います。管理部門の仕事も、同じです。整った資料の先に、「この組織で、本当に回るのか」を引き受ける覚悟があるかどうか。それが、実務家の価値なのだと感じています。

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参考・出典

本記事は、ある記事を読んで感じたことをもとにした筆者個人の見解です。

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