IPOが目に見えて減った──その実感は、まさにその通りだと思います。2026年に時事通信が報じた、国内の新規株式公開(IPO)数の減少に関する記事です。市場を牽引してきたソフトウェア関連企業の上場ペースが減速し、今年は中東情勢の悪化による金融混乱、最先端AIの台頭による業務代替懸念、金利上昇も重なって、IPOの時期を延期する動きが広がっています。IPO準備に携わってきた立場から、その背景と、あまり語られない「制度面のハードル上昇」を読み解きます。
目に見える逆風──市況・AI・金利
まず、足元の逆風です。記事が指摘するのは、大きく3つの要因です。
これらが重なり、企業の間でIPOの時期を延期する動きが出ています。ただ、これらは景気循環的な要因であり、市況が回復すれば和らぐ側面もあります。私がより構造的だと感じるのは、次に述べる「制度面のハードル」です。
制度面でも、実質的なハードルは上がっている
制度面でも、実質的なハードルは上がっています。新規上場基準そのものは引き上げられていませんが、その先に控える新しい基準が、引き受け判断に重くのしかかっているのです。
従来の「上場10年経過後から時価総額40億円以上」を、
「上場5年経過後から時価総額100億円以上」へ。
2030年から本格適用される、この基準が、いま引き受け判断に影を落としている。
2030年から適用される「上場5年経過後に時価総額100億円以上」という新基準が、引き受け判断に重くのしかかっています。証券会社や監査法人も相当慎重になっており、上場時点で時価総額の基準はないものの、「数年後に100億円を超えられるか」という重みが、引き受けのハードルを確実に上げています。主幹事が大型案件を優先し、小粒な準備企業が支援を得にくくなっているという声も、よく耳にします。実際、2026年の上場時時価総額は平均で300億円を超え、過去最高の水準になったと報じられています。市場全体が「大型化」しているのです。
これは、以前解説した主幹事証券の引受審査とも深く関わります。主幹事は、その企業を引き受けてよいかを審査しますが、その判断基準に「上場後、5年で100億円を支えられるか」という視点が、明確に加わったわけです。
難しいのは「時価総額の算出」
ここで実務的に難しいのが、時価総額をどう見積もるか、です。時価総額は、将来の話であるうえに、市況に大きく左右されるからです。
一般的に、時価総額はPER(株価収益率)を使って算出します。「利益 × PER」で時価総額の目安を出すわけです。しかし、このPERは、その時々の業界動向や日本経済の状況に大きく左右されます。IPO時に市況が良ければ高いPERがつきますが、数年後に景気が悪化すればPERは下がる。同じ利益でも、市況次第で時価総額は大きく変わってしまうのです。
→ PERは市況で変動する(好況で高く、不況で低く)
→ 数年後にPERが下がっても100億円を支えるには、相応に厚い利益が要る
= 上場時点で、厚めの収益基盤を作り込んでおく必要がある。
だからこそ、「PERが想定より下がっても100億円を支えられる利益水準」が求められます。上場時点で、厚めの収益基盤を作り込む必要がある。これが、準備企業には相当な負担です。単に上場基準を満たすだけでなく、その先の市況悪化まで見越して、収益力を厚くしておかなければならない。ハードルは、見た目の基準以上に高いのです。
東証の狙いは、理解できる
ここまでハードルの高さを述べてきましたが、東証の狙い自体は、理解できます。むしろ、方向性としては正しいと思います。
小粒なまま伸び悩む企業を減らし、投資家が安心して投資できる質の高い成長企業を増やし、市場全体の売買を活発にする。企業価値が小さいまま上場すると、資本力のある機関投資家の投資対象になりにくく、株主が個人に偏りがちです。それでは、上場後の成長に必要な資金も、市場の厚みも得られません。「上場すること」自体をゴールにするのではなく、「上場後に成長すること」を促す。その狙いは、市場の健全性という観点から、理にかなっています。
それでも残る、両立の難しさ
ただ、IPO準備に携わってきた立場からは、上場が以前よりずっと遠い目標になった、と実感します。ここに、悩ましさがあります。
スタートアップにとって、上場は資金調達と信用力獲得の重要な出口です。その出口のハードルが上がることで、健全に成長している企業までもが、上場をためらいかねません。「まだ100億円は難しいから、もう少し待とう」と延期を重ねるうちに、成長の機会を逃す企業も出てくるでしょう。市場の質を高めることは大切ですが、それが行き過ぎれば、挑戦の場そのものが狭まってしまいます。
市場の質を高めることと、成長企業の挑戦の場を確保すること。この両立をどう図るかが、これからの大きな論点だと感じています。上場維持基準の厳格化と並行して、上場までの多様な資金調達手段(プロ向け市場やスタートアップ向けファイナンス)をどう充実させるか。「質」と「挑戦の場」の両輪をどう回すかが、日本の成長を左右します。
まとめ
- IPO減少の背景は、市況の混乱・AI台頭による業務代替懸念・金利上昇という目に見える逆風に加え、制度面の実質的なハードル上昇がある
- 2030年適用の「5年100億円ルール」が引き受け判断に重くのしかかる。上場時点の基準はなくても、数年後に100億円を超えられるかが問われる
- 時価総額はPER次第で市況に左右される。PERが下がっても100億円を支える厚い利益が求められ、上場時点での収益基盤の作り込みが負担に
- 東証の狙い(質の高い成長企業を増やす)は理解できる。ただし、市場の質を高めることと、成長企業の挑戦の場を確保することの両立が、大きな論点
IPOの減少は、単なる市況の問題ではなく、市場のあり方そのものの転換点を映しています。「数を増やす」時代から、「質を高める」時代へ。その方向性は正しいとしても、そこで健全な成長企業の挑戦の芽まで摘んでしまっては、本末転倒です。準備企業の側は、より一層、厚い収益基盤とガバナンスの作り込みが求められます。そして市場の側は、質と挑戦の場の両立という難題に、答えを出していく必要があります。上場という目標が遠くなったいま、その一歩をどう支えるか。IPOに関わる誰もが、あらためて問われているのだと感じます。
【出典・参考】
・時事通信「減少続くIPO、新興企業が低調=最先端AI台頭や金利上昇が打撃」(2026年)
・日本経済新聞、EY Japan、東京証券取引所の各公表資料(グロース市場の上場維持基準見直し・時価総額動向)
※本記事は2026年時点の公表情報をもとに一般的な考察を目的として作成したものであり、特定の企業や上場の可否・投資判断を推奨するものではありません。数値・制度は出典・時点により変わる場合があります。具体的な上場準備は、主幹事証券会社・監査法人等の専門家にご相談ください。
