「働かないオジサン」問題の根底には、日本の雇用慣行と労働法の構造があると感じています。2026年8月にPRESIDENT Onlineが報じた記事は、AIを導入しても日本企業の生産性が上がりにくい理由を、この構造から論じていました。労務の実務に携わる立場から見て、この論点は非常に本質的です。
ただし、これは労働者保護そのものを否定する話ではありません。この構造には良さと難しさが同居しており、その両面を踏まえて考える必要があります。センシティブな論点でもあるため、特定の立場に断定することは避けつつ、コーポレート実務の視点で、この問題の構造を整理します。
日本の労働法は、労働者保護に厚い
大前提として、日本の労働法は、基本的に労働者に有利にできています。これは実務上、明確な事実です。
就業規則の不利益変更には合理性が求められ、解雇には厳しい制限がかかります。特に、経営上の理由で人員を減らす「整理解雇」には、判例上、4つの要件(要素)が求められます。
能力不足を理由とした解雇も、簡単には認められません。この手厚い保護があるからこそ、成果が伴わない人材であっても、企業は雇用を維持し続けなければならない、という側面が生まれます。記事が指摘する「構造的欠陥」は、まさにこの法制度と雇用慣行の組み合わせから生まれています。労働者を守る仕組みが、同時に、成果を出さない人材も守ってしまう。ここに、この問題の難しさの核心があります。
この仕組みには、確かな良さもあった
ここで強調しておきたいのは、この仕組みが一方的に「悪い」ものではない、ということです。むしろ、確かな良さもありました。
解雇されにくいという安心感が、会社への帰属意識を生む。それが、全社一丸となって長期的な目標に取り組む、日本企業ならではの一体感につながっていました。終身雇用を前提に、腰を据えて人を育て、技術を継承していく。目先の業績で人を切らないからこそ、長期的な視点で腰を据えた投資ができる。この長期雇用のモデルが、かつての日本の競争力を支えていた面は、否定できません。
つまり、同じ仕組みが、光と影の両面を持っている。この両面性を無視して「規制が悪い」とだけ言っても、あるいは「保護は絶対だ」とだけ言っても、問題の本質には届きません。
崩れつつある前提と、非対称なコスト
ただ、近年その前提は、明らかに崩れつつあります。
転職市場は活況で、一つの会社に定年まで勤め上げるという価値観は、もはや当たり前ではなくなりました。人材の流動性が高まるなかで、ある種の非対称な状態が生まれています。すなわち、「解雇はしにくいが、辞める人は辞める」という状態です。
一方で、成果の伴わない人材は解雇できないため残り続ける。
結果として、抱え込みのコストだけが企業に残りやすい構造になる。
終身雇用という前提が全員に共有されていた時代には、この仕組みは均衡していました。しかし、辞める人は自由に辞められる一方で、企業側からは動かせないという非対称が生じると、均衡が崩れます。抱え込みのコストだけが企業に残りやすい構造になってしまう。長期雇用モデルの「光」を支えていた前提そのものが、揺らいでいるのです。
AI時代が、問題を先鋭化させる
そこに、AI化という新しい変数が加わります。これが、問題を一段と先鋭化させます。
記事が指摘するのは、AIで業務が合理化されて余剰人員が発生しても、日本では簡単には人員を減らせない、という現実です。余剰となった人は別の部署・別の業務に配置され、定年まで給料を払い続けることになる。そのため、人件費が実際に減るのは、はるか先の話になります。皮肉なことに、AI化に積極的な企業ほど、この「余剰人員の抱え込み」が大きくなりうる、という逆説すら生じます。
参考までに、AIの業務活用について、日本は日常的に活用する人の割合が51%と、世界平均の72%を下回るという調査結果もあります(BCG、2025年、11カ国・地域が対象)。導入の遅れに加えて、導入しても人員面での効果が出にくい構造がある。この二重のハンデが、「AIを導入しても生産性が上がらない」という指摘の背景にあります。
議論は続くが、結論は出ていない
では、どうすればよいのか。労働法の世界でも、解雇規制の見直しや、金銭解決制度をめぐる議論は、長く続いています。
金銭解決制度とは、解雇に伴って労働者が被る損失を金銭で補償することで、解雇のルールを明確化しようという考え方です。あいまいな解雇要件を、金銭という形で整理しようという発想で、専門家からの提案もあります。ただ、このテーマは、労使双方の利害が鋭く対立します。「雇用の安定を損なう」という強い懸念と、「流動性を高めるべきだ」という主張がぶつかり、なかなか具体的な結論が聞こえてこないのが現状です。
ここで重要なのは、どちらの立場にも、切実な理由があるということです。解雇規制の緩和は、成長企業への人材移動を促す一方で、立場の弱い労働者が職を失うリスクを高めます。だからこそ、仮に流動性を高めるなら、雇用や所得を保障するセーフティネットの整備が不可欠だという指摘もあります。単純な「規制緩和か、維持か」の二択で語れる問題ではありません。
向き合うべき「宿題」として
AI化で生産性向上が求められる時代に、雇用の流動性と労働者保護のバランスをどう取り直すか。これは、簡単に答えの出ない、しかし避けて通れない宿題です。
この宿題に正面から向き合わなければ、「AIを導入しても生産性が上がらない」という記事の指摘は、現実のものになってしまうと感じています。制度の議論は政治や立法の領域ですが、個々の企業にできることもあります。人材の再配置と再教育(リスキリング)で、余剰となりうる人材を新たな価値を生む配置に転換する。年功ではなく成果や貢献で処遇する仕組みを整える。「働かない」状態を生まないよう、役割と期待を明確にし、対話を重ねる。制度が変わるのを待つだけでなく、いまの枠組みのなかでできる工夫を積み重ねることも、実務の役割です。
「働かないオジサン」という言葉は、ともすれば個人を揶揄する響きを持ちます。しかし本質は、個人の資質の問題ではなく、制度と時代の変化のはざまで生じる構造の問題です。個人を責めるのではなく、構造をどう組み替えるか。労使双方が、そして社会全体が、感情論ではなく建設的にこの問いに向き合えるかどうかが、これからの日本の生産性を左右するのだと感じています。
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【出典・参考】
・PRESIDENT Online「一流企業ほど『働かないオジサン』が増殖していく…トヨタも三菱UFJも逃れられない日本企業だけの“構造的欠陥”」(2026年8月、日沖健)
※本記事は公表情報および一般的な実務上の考え方をもとに作成したものであり、特定の政策的立場を主張するものではありません。解雇や労務管理に関する個別の判断にあたっては、社会保険労務士・弁護士等の専門家にご相談ください。
