ある程度の規模の企業になると、法令違反を避けるのは当然として、それ以上に多くの事象を検討し、リスクを見極めていく必要があります。2026年8月に公表された小学館の第三者委員会報告書と、それを受けた同社の対応は、まさにその重要性を突きつける事案だと感じています。
本記事は、個別の事案の当否を論じたり、扇情的に取り上げたりするものではありません。この一件を、企業が向き合うべき「コンダクトリスク」という概念と、その組織的な管理体制という観点から、コーポレート実務の視点で読み解きます。
「コンダクトリスク」という考え方
以前、東証のセミナーで「コンダクトリスク」という概念を学び、非常に勉強になりました。これは、法令に明確に違反しているかどうかだけでなく、ハラスメントや世の中の風潮、社会からの期待を踏まえて、企業が守るべき範囲がどんどん広がっているという考え方です。
法律には触れていなくても、社会通念に照らして「不適切」と評価される行為は、企業の信頼を大きく損なう。まさに今回の問題が、それを象徴しています。「違法ではない」という理屈が、社会からの信頼を守るうえでは、もはや十分な盾にならない。この認識が、コンダクトリスクという考え方の出発点です。
第三者委員会が指摘したこと
今回の事案では、小学館の第三者委員会が、性犯罪歴のある作家を別名義で起用していた経緯を編集部が把握していながら、起用にあたって十分な組織的検討が行われていなかったと指摘しました。そして、被害女性への「人権侵害を助長または加担する対応と評価されてもやむを得ない」と、厳しく認定しています。
報告書が問題視したポイントの一つに、こうした人権リスクについて「組織的に議論し、又は検討する仕組みが設けられていなかった」という点があります。個別の企画の適切性を、編集部門と管理部門が定期的に共有し協議する会議体もなかった、と指摘されました。つまり、判断が現場に委ねられ、組織としてチェックする仕組みが欠けていた、という構造的な問題です。
これを受けて、小学館は社長ら役員が報酬を自主返納し、人権委員会の新設や作家起用基準の見直しといった組織改革に踏み込みました。報道によれば、社長は3カ月にわたり報酬の50%を減額し、あわせて26人が報酬の一部を自主返納。再発防止策として、外部の専門家を交えた人権委員会の新設、全役職員への人権尊重・ハラスメント防止研修、そして重大な人権侵害があれば依頼・継続をしないという作家起用の新基準の設定が公表されています。
重要なのは「組織全体の課題」と位置づけた点
コーポレートの視点で重要なのは、これが「一部門や一個人の問題ではなく、組織全体の課題」と位置づけられた点です。
個人の判断ミスとして処理するのではなく、組織のガバナンスと危機管理体制そのものの欠陥として受け止めた。ここに、この対応の本質があります。「担当者が悪かった」で終わらせれば、その場は収まるかもしれませんが、同じことは形を変えて再発します。なぜなら、問題の根が、個人の資質ではなく、組織としてリスクを検討する仕組みの欠如にあるからです。
人権委員会の新設や全役職員への人権研修は、コンダクトリスクを組織的に管理する仕組みへの転換だと言えます。属人的な判断に委ねるのではなく、社会からの期待に照らしたリスクを、組織として検討し、チェックする。その体制を作ることが、再発防止の本質です。報酬返納は責任の取り方の一つですが、より重要なのは、その先に体制の変更が伴っているかどうかです。
自社に引きつけて考える
この事案は、出版業界に限った話でも、大企業だけの話でもありません。あらゆる企業が、程度の差こそあれ、同じ構造のリスクを抱えています。取引先の選定、広告や表現の内容、SNSでの発信、従業員の言動──法令には触れなくても、社会通念に照らして「不適切」と受け取られうる判断は、日々の業務のあちこちにあります。
管理部門の視点で、自社に引きつけて点検すべき論点を挙げておきます。
- 「違法でなければよい」で判断を止めていないか:法令チェックの先に、社会からどう見られるかという視点があるか
- 現場任せになっていないか:リスクを含む判断が、担当者個人に委ねられ、組織としてチェックする仕組みがない状態になっていないか
- 部門を越えて協議する場があるか:現場部門と管理部門が、企画や取引の適切性を共有し、協議する会議体があるか
- 基準が言語化されているか:何を「不適切」とするか、その判断の物差しが、属人的な感覚ではなく、明文化された基準として存在するか
これらは、特別なリソースがなくても点検を始められる論点です。重要なのは、リスクの検討を個人の感覚に頼るのではなく、組織の仕組みに落とし込むこと。反社チェックや内部統制と同じで、「気づける仕組み」と「検討する場」があるかどうかが、有事に効いてきます。
まとめ
企業が守るべきものは、時代とともに確実に広がっています。法令遵守という最低ラインだけでなく、社会からどう見られ、どんな価値観に応えるべきか。それを常にアップデートし、組織として検討する体制を持てるかどうかが、これからの企業に問われているのだと感じています。
コンダクトリスクは、明確なルールがないぶん、対応が難しい領域です。「どこまでやればよいのか」という正解も、あらかじめ用意されてはいません。だからこそ、社会の変化に感度を持ち、リスクを組織的に検討し、判断の基準を更新し続ける。その地道な営みが、企業の信頼という、最も失いやすく取り戻しにくい資産を守ります。今回の事案は、その体制づくりの重要性を、あらためて私たちに突きつけています。
【出典・参考】
・日本経済新聞「小学館、相賀信宏社長3カ月の報酬50%減額 『マンガワン』問題で」(2026年8月4日)
・株式会社小学館「第三者委員会調査報告書の受領に関するお知らせ」(2026年8月3日)
※本記事は公表情報をもとに一般的な情報提供を目的として作成したものであり、特定の企業・個人の責任の当否を評価するものではありません。コンダクトリスクへの具体的な対応にあたっては、弁護士等の専門家にご相談ください。
